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渋茶談義 第二回:横浜美術館・逢坂館長インタヴュー

第二回めの収録を終えて

 2010年11月16日、午前11時横浜美術館にお邪魔し、「緊急企画シリーズ:"日本の博物館・美術館制度に未来はあるのか?"~岩渕潤子が博物館・美術館館長らの本音に迫るオトナの渋茶談義~」第二弾として、館長の逢坂恵理子さんにお話を伺ってきました。
 岩渕は1987〜8年頃だったか…NYから戻って来て、イタリアへ留学するまでの間に東京で初めて逢坂さんと出逢いました。二十代で「怖れを知らぬ」時期でもあり、逢坂さんには気さくに接して頂いていたので、目上であるという認識を持たずに、ばりばりタメ口で接していたような気がするのですが、最近になって、実は大変にお姉様でいらしたことを知り、深く反省している次第です。

 とはいえ、今日もなぜ美術に関心を持たれたか・・・という文脈で、幼少の頃からの体験、美術の仕事に携われるようになる以前の「丸の内のOL」体験や、その間に貯めたお金で決行された2ヶ月に及ぶヨーロッパ旅行とその際に訪問された美術館の数々、美術出版社でアルバイトとして体験された原稿取りやカメラマン・アシスタントのお仕事など、今までお聞きしたことのない貴重なエピソードの数々を語って頂きました。
 女性としてお話を伺っていて最も興味深かったのは、ご本人が「学芸員になるまでの助走期間がとても長かった」と仰る、一般事務職を含む様々な職業体験と、「まだ、当時は働く女性の職業選択肢じたいが少なかったのよ。大学に行っても結婚することが前提の女性が多かった」という、今とは異なる女性を取り巻く社会環境についてのお話です。女性にとって、1985年の男女雇用機会均等法以前の職業選択の少なさ、また、「学芸員って、当時、採用される人は男性ばっかりだったの」というお話に驚くと共に、そうだったんだろうなぁと納得し、むしろ、今より厳しい雇用情勢を明るく生き残ってこられた逢坂さんへの尊敬の念を深めるに至りました。

 今の時代、学芸員を目ざす若者たちに送る言葉として「諦めるな!」ということと同時に、「美術の仕事をするためには美術だけではなく、世界で起きているすべてのことに関心を向けて欲しい。国際情勢、金融、経営、ほんとに何でも・・・。役に立たないことはないのだから」と仰っていた逢坂さん。「私はいつも、何か大変な時に声をかけられる役回りというか、運命みたいなところがあるのだけど、今回の横浜トリエンナーレも、実は、大変なの。でも、コンパクトに、今後を含めた自律的な運営プラットフォームの確立を目ざそうと、元気に頑張っていきたいと思っています」と笑顔で語っておられました。また、トリエンナーレのプログラムの詳細が決まった頃に、お話を伺いに行きたいと考えています。

MCDN代表 岩渕潤子

逢坂館長インタヴュー 「APECが終わったばかりですが、会期中、関係の外国のお客様は沢山来場されましたか?」


逢坂館長インタヴュー 「美術展へ行くことが大好きだった幼少期から学芸員意識した高校時代まで」


逢坂館長インタヴュー 「大学時代の興味〜花の「OL時代」について」


逢坂館長インタヴュー 「美術出版社でアルバイト:原稿取り、カメラマンのアシスタントを経て、国際交流基金へ」


逢坂館長インタヴュー 「ICA名古屋、水戸芸術館、森美術館、横浜美術館:それぞれに全く異なる美術との関わり、仕事のあり方〜そして、美術館でのキャリアを目ざす人たちへのメッセージ」

渋茶談義 第一回:印刷博物館・樺山館長インタヴュー(2)

編集後記

「緊急企画シリーズ:"日本の博物館・美術館制度に未来はあるのか?"~岩渕潤子が博物館・美術館館長らの本音に迫るオトナの渋茶談義~」第一弾、館長の樺山紘一先生インタヴュー後半。特に岩渕の印象に残っているのは、「上級学芸員資格云々もだけど、国・公立、特に日本では一番数の多い、地方自治体による公立美術館で運営を担っている事務方の職能の専門性をきちんと確立する(ジョブ・ディスクリプションを明確にし、裁量権を与え、専門職の扱いにする)ことのほうが大事なのではないか」ということでした。同じ公務員でも、美術館担当だった人が辞令一つで水道局や橋の建設を担当する部署に異動になるようなことは、誰にとっても幸せなこととは言えないのではないか・・・。せめて、文化施設や教育関係の仕事の範囲で活動する公務員職があって、その中でキャリア・アップを考えられるような仕組みが作れるならば、その時こそ初めて「文化政策」といった学問領域が役に立つことになるのではないか・・・というお話です。これは、私もかねて考えていたことであり、少しでも文化施設にかかわる仕事を増やして行こうと考えるならば、とても重要な視点ではないかと思いました。皆さんは、どうお考えになりますか?

MCDN代表 岩渕潤子


樺山館長インタヴュー 「日本以外のアジアの国々の人文系研究者たちは英語を使いこなし、若い研究者を海外に送り出すためにどんな工夫をしているか」


樺山館長インタヴュー 「日本人が海外に出て行くだけではなく、日本の美術館・博物館は外国人にも開かれるべきである」


樺山館長インタヴュー 「英語をもっと使うことを含め、美術館・博物館、大学の開国をどう実現していくか」


樺山館長インタヴュー 「館長の仕事とキュレーターの仕事/文化施設での事務職の専門性をどう確立するか」


樺山館長インタヴュー 「事務職の専門性〜これから美術館、博物館のキャリアをめざす若者たちへ」